フィリピンの武術、エスクリマの中でも「バリンタワクスタイル」を代表する流派の一つである「ニッケルスティックエスクリマ」。その創始者であり、グレイトグランドマスター(最高師範)であるニック・エリザール氏のインタビューをもとに、彼の武術人生を紐解いていく。
幼少期とボクシングへの情熱
ニック・エリザール氏はフィリピン・セブ市のバランガイ・キャピタルで生まれ育った。同じ地域にはグランドマスター・ボビー・タボアダも住んでおり、幼少期から共に過ごし、今でも親しい関係にあるという。
彼の格闘技人生は、ボクシングから始まった。高校時代にはすでにボクシングに親しみ、進学したビサヤ大学でもアマチュアボクサーとして活動を続けていた。しかし、彼の母親は息子の「ハンサムな顔が台無しになる」と心配し、正式な試合に出場することを許さなかった。親の同意なしに試合に出ることはできなかったため、リングでの経験は積めなかったが、密かにトレーニングを続けていたという。
空手との出会い、そしてエスクリマへ
1965年、ボクシングを続けていたエリザール氏だったが、やがてフィリピン・セブ市で空手が紹介されると、彼の関心はそちらへと移っていった。当時、彼はすでにある海運会社で集金係として働いていたが、空手の稽古に打ち込むことを決意。
しかし、エスクリマとの出会いが彼の武術人生を決定づけることになる。フィリピンの伝統武術であるエスクリマは、当時まだ広く知られていなかったが、彼はその魅力に取り憑かれ、次第にのめり込んでいった。
1972年の戒厳令とエスクリマへの転向
1972年、フィリピンではフェルディナンド・マルコス大統領による戒厳令が布告され、銃の所持が厳しく制限されることとなった。この政策は多くの人々の武器使用に影響を与え、エリザール氏もまたその影響を受けることになる。
もともとボクシングと空手に傾倒していた彼だったが、銃が使えない状況の中で自己防衛のために伝統的な武術に目を向けるようになった。そして、この時期にエスクリマの練習に本格的に取り組むことを決意する。エスクリマは、短棒や刃物を用いた戦闘術でありながら、徒手格闘にも応用可能な技術体系を持っていた。この実戦的な側面が、彼を魅了した理由の一つだった。
ボビー・タボアダとの交流と影響
ニック・エリザール氏は、フィリピン・セブ市のバランガイ・キャピタルで育ったが、その地域にはもう一人の武道家、ボビー・タボアダもいた。二人は幼少期から親しく、後に共にエスクリマを学ぶことになる。
エスクリマの道に進むきっかけの一つとして、エリザール氏は「ボビー・タボアダによってバリンタワク・エスクリマに紹介された」と語っている。つまり、ボビー・タボアダはニック・エリザールにとって武術の先駆者のような存在であり、共に学び合う仲だったことがわかる。
やがて二人はバリンタワクスタイルのエスクリマを習得し、それぞれ独自の道を歩むことになる。ボビー・タボアダは「Cuentada(クエンタダ)」と呼ばれる独自の流派を確立し、エリザール氏もまた「ニッケルスティックエスクリマ」として自らのスタイルを発展させた。
二人は同じ師匠のもとで学んだものの、それぞれ異なるアプローチで武術を深めていった。エリザール氏は、ボビーについて「ボビーは彼自身の方法を発展させた」と語っており、彼のスタイルの独自性を認めている。
ボビー・タボアダのクエンタダ・バリンタワクは、バリンタワクスタイルに独自の「計算された戦略(Cuentada)」を取り入れたスタイルであり、よりダイナミックな動きを特徴としている。一方で、エリザール氏のニッケルスティックエスクリマは、フライホイールやアバニコといった技術を駆使し、より実践的なストライク技術に重点を置いている。
どちらもバリンタワクエスクリマの流れを汲みながら、それぞれ異なる方向に進化したことがわかる。
バリンタワクスタイルとニッケルスティックエスクリマ
エスクリマには様々なスタイルが存在するが、彼が学んだのはバリンタワクスタイルだった。この流派は、接近戦を重視し、素早い動きとリズムの変化を特徴とする。
彼の指導のもとで発展した「ニッケルスティックエスクリマ」は、このバリンタワクスタイルを基盤としながらも、独自の要素を取り入れている。特に「フライホイール」や「アバニコ」といった技法を駆使し、より実践的な攻防を重視したスタイルとなっている。
また、ストライクの精度を高めるための練習にも力を入れており、単なる伝統の継承に留まらず、進化を続ける武術として現在も広まっている。
未来への展望
ニック・エリザール氏は、エスクリマを次世代に継承することの重要性を強調する。彼の武術は単なる戦闘技術ではなく、文化や精神性をも包含するものであり、その価値を広めることが自身の使命であると語る。
ニッケルスティックエスクリマは、今や世界中の武道愛好者に注目される存在となっている。エリザール氏の教えを受け継ぐ弟子たちが各地で指導を行い、フィリピン武術の伝統を未来へとつないでいる。
ニック・エリザールという一人の武道家の軌跡は、単なる個人の物語にとどまらず、フィリピン武術の発展と世界的な広がりを示す象徴的な存在となっている。
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